贅沢に慣れてしまう
贅沢は人間のウィークポイントでもある
僕たちはしばしば、お金やモノがプラスのインパクトを与えてくれると思い込み、贅沢をしたくなる。しかし、その贅沢に慣れてしまうと、それだけでは満足できなくなり、もっと豪勢な生活をしたいと願ってしまうようになる。
もちろん、自分を時々甘やかして、ちょっとした贅沢を許すことも必要だ。だが、自分に贅沢を与えて喜ぶ性質をウィークポイントだと見なして、贅沢が当たり前にならないように襟を正すこともしなければいけない。もし、この贅沢が自分に与えられるべき当然の権利だと思い込んでしまうようになると、その贅沢ができなくなったときに不満を感じる可能性があるからだ。
富裕層は人よりもお金を持っており、自分の望む贅沢を容易に叶えられる。しかし、その地位はいつでも約束されているわけではない。この快楽順応に囚われて贅沢から抜け出せなくなり、経済的に不安定になって転落しないよう注意しなければならない。
新しい贅沢を手に入れた時、はじめはその幸福感を楽しむことができるものの、すぐに物珍しさは消えてしまう。そして、次の刺激を追い求めるようになる。刺激を手に入れ続けるためには、もっと稼ぐスピードを上げなくてはならず、リスクの高い方法にも手を出しかねない。贅沢を追い求めるようになると、生活にはどんどん余裕がなくなっていく。リボ払いにも、資産的価値のないモノの購入にも、怪しい投資の話に乗ることにも、どんどん抵抗がなくなっていくかもしれない。
幸福には慣れやすい
人間の適応能力はすさまじい。劣悪な環境でも住めば都になるが、贅沢に慣れるのはもっと早い。幸福や贅沢に慣れて鈍感になってしまうことを、「快楽順応」という。
ご飯をおいしく食べられたり、自分の足で外出したりできる健康体に感謝することは滅多にない。うだるような暑さの中で、空調の効いた室内に入ると一時は天国のように感じるが、すぐに慣れてしまう。あるだけで幸福だと感じられることには一瞬で慣れるのだから、お金やモノを手にした喜びも、人は一瞬で慣れてしまうのである。
例えば、宝くじに当たった人を調査したところ、当選したときには幸福度が上がっていたが、わずか1年で幸福度が戻ってしまったという研究もある。お金によって手に入れた幸福は長続きしないのだ。豪邸、高級車、高級家具なども、数ヶ月も経てばすっかり見慣れてしまい、日常になってしまう。日常の一部を目にしていちいち幸福を感じるのは難しい。
恵まれた立場にあるからこそ、幸せに対して鈍感になることがあるということを肝に銘じる必要がある。